【授業の中で】「分かりません」を掘り下げることにこだわっている

【授業の中で】「分かりません」を掘り下げることにこだわっている

授業中に「分かりません」と言う生徒に対して、結構きつく当たっているかもしれない。

何が分からないのか、どこまでは分かっているのか、どこから分からなくなったのか。

そういうことを毎回しつこく聞く。

生徒からしたら面倒くさい先生だと思われているだろうな、とは自覚している。

何年も子どもたちを見ていると、「分かりません」の一言にどんな気持ちが込められているか、自然と分かるようになってくる。

本当に詰まっているのか、考えるのをやめてしまっているのか、ただ答えを教えてほしいだけなのか。

その違いが、なんとなく見えてくる。

教えてあげたくなる気持ちは、もちろんある。

でもそこをぐっとこらえて、まず生徒自身に考えさせることにずっとこだわっている。

特に気になるのが、新しい単元に入っていきなり「分かりません」と言うケースだ。

まとめのページを読んだか、例題を確認したか、そういった準備があったかどうかで話が全然変わってくる。

何もしていないで分からないのは、当たり前だよ。

誰だって分からない。

そこは正直、厳しい目を向けている。

だから「どこまで分かって、どこから分からないの?」と聞いても、最初はほとんどの子が答えられない。

自分で把握できていないからだ。

それ自体はしょうがないことだと思っている。

でも、それをそのままにしておくのはよくない。

だんだん付き合いが長くなってくると、生徒の方から「ここまではできるんですけど、ここからが分からなくて」と言えるようになってくる。

その変化が出てきたとき、正直うれしい。

「分かりません」という一言が、少しずつ中身のある言葉に変わっていく。

楽をしようとして「分かりません」と言っている部分だって、こちらも分かっている。

ただそれを責めたいわけじゃない。

そういう甘えが出てくるのは、子どもとして自然なことでもある。

だからこそ、そこに気づかせることが大事だと感じている。

「分かりません」という言葉が変わっていく過程を、毎年いろんな生徒で見ている。

最初は何も言えなかった子が、少しずつ自分の言葉で詰まっている場所を説明できるようになる。

それができるようになった子は、勉強の進み方が変わってくる。


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サクセス未来塾
にっさい花みず木校
教室長 中村